○英国の省庁別特別委員会について

 

 

 

[華やかな本会議討論と英国議会の別の顔]

 

 英国下院の本会議場。ついこのあいだまで、議長から見て左側の野党席に陣取っていたトニー・ブレア氏と彼の率いる労働党の議員は、総選挙勝利後の初めての本会議開会日のこの日、議長から見て右側の与党の席に、心からの笑顔と共に着席していた。一方、敗軍の将であるジョン・メイジャー前首相は、力のないほほえみと共に、18年間座り慣れた与党席から野党席に移り、労働党攻撃の質問を開始した。議会制民主主義のダイナミズム、政権交代が、誰の目にもはっきりとわかる形で、この本会議場で表現されたのである。

 

 こうした華やかな本会議の映像は、我が国にいても時々目にすることができる。英国議会と言えばこの本会議討論という印象を持っている人も多いと思う。私もそうした一人であったが、実際に研修の機会を得て英国議会を訪れてみると、「意外」と思う点がいくつかあった。

 

 (たった15分の首相への質問)

 

 連日本会議は開かれているが、首相への質問は3時15分から3時半までの15分と決められている。それも火、木曜日の週2回だけである。日本の予算委員会の首相への質疑と比べると、かなり短時間のように思える。ただ、議会開会中、毎週ほとんど必ず行われるので、重要な政策を国民にアピールする役割は、充分に果たしていると思う。

 

 (ガラガラの本会議場)

 

 首相質問や重要法案審議の時の本会議場は、席がなくて立っている議員が出るほど、多くの議員で埋め尽くされる。しかし、連日夜10時頃までやっている本会議の他の多くの時間では、議場の議員がまばらになることがある。全体でも20人ぐらいしかいないような議場の姿を何度か見た。委員会も平気で本会議開会中に開かれる。本会議は儀式ではなく、実際に必要な議論を必要な者がなせば良いものと考えられている観がある。

 

 (注目される委員会活動)

 

 BBC2は、火~金の朝8時台に、30分程の前日の議会のダイジェスト番組を放映している。そのほか生中継や解説番組もあるが、そうした中でも、委員会の活動がよく取り上げられている。時宜にあったテーマについての、集中した議論の展開は、国民の注目を浴びることが多い。

 

 

 

 「議院内閣制は英国を手本とし、委員会制度は、米国を手本としている」というのが、日本での一般的な理解かと思うが、英国議会の委員会もかなり活発な活動を行っている。

 

 本稿では、こうした英国議会の別の顔とも言うべき委員会、特に比較的歴史の新しい議会改革の結果として活発な活動が注目される省庁別特別委員会について、まとめてみたものである。

 

 

 

 

 

[省庁別特別委員会(Departmental Select committee)

 

 英国下院には、法案の審議を行う常任委員会(Standing committee)等、何種類かの委員会のシステムがある。それら制度の全般については、原度氏の論文(「イギリス下院の委員会制度」『議会政治研究』36号)で詳細に述べられている。

 

  特別委員会(Select committee)は、委員が下院議員から選ばれる(select)ことから来る名称である。時代の変化に応じ、特別委員会には、下院の調査機能の、より大きな役割を果たすことが求められるようになっている。

 

  特別委員会には、省庁別特別委員会(Departmental select committee) と、それ以外の特別委員会があり、後者は、「狭軌(narrow gauge)」委員会と評され、省庁別ではない特定分野の政府の活動を監視するものである。「狭軌」の特別委員会には、決算委員会、委任立法委員会、規制緩和委員会、欧州立法委員会等がある。この「狭軌」の特別委員会の一つである議会オンブズマン特別委員会(The Select Committee on the Parliamentary Commissioner for Administration 「行政に関する議会コミッショナー特別委員会」)については、別途報告書を書いているので、そちらを参照していただきたい。

 

 

 

(1)制度の発足

 

 特別委員会の歴史は大変長いものがあるが、現在の省庁別特別委員会の制度は、1960年代以来開発されてきたいくつかの改革の試みに代わるものとして、1979年6月に、そのシステムの設立が下院により承認されたものである。

 

 これは、広く下院全体の審議のあり方を検討していた議事手続特別委員会が出した報告(HC588(1977-78))が基礎になっている。1979年の総選挙の後、時の下院の指導者(Leader of the House)であったノルマン・セントジョーン・スティーバス議員は、省庁別委員会の提案が、「政府のより効果的な精査に必要な準備」であり、また「省庁別の政策の、よりきめ細かい調査の機会」、「政府の内部のより大きな公開への重要な貢献」、「我々の議会の取り決めと我々の憲法の伝統と一致しているもの」として、その実現を押し進めた。

 

 こうして新しく省庁別に基礎をおいた特別委員会の制度が発足した。1979年4月の議会解散時にあったもの、例えば歳出委員会とその小委員会(一般、環境、貿易と産業、教育・芸術と内務、社会福祉、防衛外交)などは、関連する政府省庁の支出に特別の注意を払うことが役割であり、新しい特別委員会のそれぞれの範疇に含まれるという趣旨により、全て置き換えられた。省庁別特別委員会は、その後の省庁分離統合の影響等でいくつかの変更を経て、1996年3月時点では、後掲リストのようになっている。

 

 

 

(2)調査の範囲

 

 議事規則130において、省庁別特別委員会は「・・・主要な政府部局の、そして関係する公益法人の、支出と行政と政策を調べる」ものとされている。1979年の論議において、下院の指導者により、「新しい委員会設立の目的は、大臣の責任の遂行についての、下院に対する大臣の責任を強くすることである。」とされた。

 

  各々の委員会は、その対応する省庁の大臣や副大臣達に直接の責任がある活動の全部の範囲を調べることができる。さらに、政府も委員会がいくらかの公益法人の活動を見ることができなければならないという、議事手続委員会の意見を受け入れた。

 

 これらの委員会は、一般的に法律の草案や議案を審査するものではない。この点が日本の、特に衆議院の省庁別に作られている常任委員会等とは、大きく異なる点である。ただ、大臣と公務員に質問することを通して、どのような事案においても、委員会が今後の立法の形についての良い考えを形成するであろうと言うことが期待されている。

 

 なお調査における委員の発言は、基本的に自由質疑の形でなされる。

 

 

 

(3)権限

 

 省庁別特別委員会には証人喚問を行う権限が与えられている。そして報告書を発行する。議事規則130は、次のように定めている。

 

(a)人や書類や記録を取りに行かせること、議院が休会の時にもそ れを受けること、あちらこちらに移動して調査すること、時に報告すること、

 

(b)容易に利用できない情報を供給するか、参照を求める委員会の 諮問の範囲内の複雑な問題をはっきりさせるために、専門的な知識のある人を任命すること。

 

 この規定の(a)の「あちらこちらに移動して」とは、公式に委員会で、証人をウエストミンスター(議事堂)以外の場所で喚ぶ権限である。表現として古い言い方とされる。(b)については、医療委員会や農業委員会のような委員会では、スペシャリストやエキスパートの助言がよく必要となり、そうした人が任命されている。

 

 こうした権限は「狭軌」の特別委員会にも認められている。

 

 他の委員会や、同時に行われる会議との間の、証人と文書についての通知の規定もある。

 

 証人が証言を拒否した場合、特別委員会の召喚命令が出される。それも拒否されれば、議院が召喚命令を出す。それを拒否すると議院侮辱罪で訴えることができるが、『議会はどう動いているか』の著者で議事部副部長のポール・シルク氏は、インタビューの際に、「そのようなことがなされた例の記憶はない」と述べている。

 

 

 

(4)委員及び委員長

 

 特別委員会の委員は、議会期において固定されている。委員は、総選挙後に指名される。13人のところもあるが、ほとんどの委員会は11人からなる、少人数の会議である。

 

 それらのメンバーは、まず一番最初に政党の中で申し込みを行う。1997年の総選挙前は、11人委員会の多くにおいて、保守党議員が6人で、野党が5人であった。いくつかの委員会では、野党の5人は全て労働党議員であったが、他の委員会では、4人が労働党で一人が他の野党議員ということもあった。しかし総計において、省庁別特別委員会の議員数は、議院全体の議員数の構成を反映する。

 

 委員長も同様に与野党に配分される。過半数の委員長は保守党から出されていた。いくつかは労働党の委員長であった。

 

 651人の下院議員のうち100人から120人は、大臣、副大臣あるいは政党での議会内における役職を有する者である。約60人ぐらいが、野党の影の内閣等の関係者である。ゆえに200人位の人がフロントベンチャーである。それらの人は委員会の委員にならない。残った450人位の、いわゆるバックベンチャー(平議員)の中から、約170人の委員が選ばれる。外務委員会や国防委員会のようにいくつかの委員会は大変人気があり、委員となるのに競争があるとされる。逆に社会保障委員会の委員などには、そんなに多くの議員がなりたがるというわけではないそうだ。

 

 政党の中では、院内幹事が、どの議員がどの委員会の委員になりたいかを聞き、そこから先は、まさに政党の中でのバランスをとる形で、委員が決められていく。

 

 その後、委員選考委員会、本会議にかけられるが、ほとんど実質的な審議はなく承認される。

 

 

 

(5)スタッフ

 

 通常3~5人のスタッフがおり、その他に外部のアドバイザーを使うこともある。スタッフには、事務官(clerk)1名、補佐(assistant)(書類事務等を行う。別の2つの委員会も担当したりしている)、秘書(secretary)(他の人と他の委員会の仕事も分担して行う)がいる。常勤職員は、総選挙の時期に合わせ、4、5年で部署を変わる。前述のシルク氏の場合、議事手続、出版、日程、エネルギー委員会、内務委員会、公法案等の部署に配属され、今日に至っているという。職員研修は仕事を通してのものが多いそうだ。

 

 補佐や秘書も含めて、職員はThe Clark of the House Departmentが採用し、等級の違いにより、多くのスタッフの中から、誰をどこの委員会に割り当てるか決める。特定の委員会のスタッフという形で就職はできない。上級職員が、どこの仕事をさせたら良いか、効果的な展開の視点から決めるとされている。

 

 

 

(6)報告書

 

 特別委員会は証人喚問、委員派遣などの後、年に数回、報告書を作成する。報告書には少数意見の報告も記録できるが、政党間の一致があった方が委員会の報告を国政に反映させるという点で効果がある。従って、各党の意見の分かれない問題の方がやりやすいものとされる。労働党と保守党の政策の差は以前と比べて少なくなって来ているので、近年は、まとまりやすくなっているのではないかとシルク氏は述べている。

 

 「狭軌」特別委員会を例にしているが、全会一致の報告書の大切さについて、ロンドン大学政経学部のジョージ・ジョーンズ教授は、次のように述べている。

 

A:こちらの決算委員会の報告書は、行政の支出に対し非常に批判的なものであることがよくある。しかし、その報告書に、与党側の委員も署名する。それは行政に対する批判なのである。議会オンブズマン特別委員会や決算委員会には、こうした良く似た伝統がある。行政の行為に焦点を置き、委員が一緒になって検討する。彼らは政党の路線で分かれることはない。

 

 たぶん日本では問題が生じるかもしれない。英国では、委員会で行政のことを扱う時に、党派を忘れるという議会の慣習、伝統がある。彼らは、自分たちには、不適正行政を検討するという、あるいは行政の支出の仕方を調査するという役割があるのだということを意識するのである。(略)

 

 いくつかの特別委員会では、確かに、委員が党の路線に従い意見を異にして、多数意見と少数意見が載っている報告書を見ることができる。そうした委員会の勧告には、影響力はない。もし、委員会が影響力を持とうとするなら、党派によって分裂した報告をしてはいけないのである。

 

 また、議会オンブズマン特別委員会担当事務官のユゼフ・アザート氏は、次のように述べている。

 

A:(略)特別委員会はある程度、客観的で、中立的なものにされている。あなたが言うように、議員が通常、党派の主張を離れて、彼らの考えに基づき委員会での決定や質問を行っているというのは、事実である。いくらかの議員は、他の議員に比べて、より独自の考え方を持っている。ディビット・ウイレッツ閣外大臣に、委員会への圧力をかけたという疑惑についての質問をした保守党のクエンティ・デービス議員などはその例である。そのような議員が充分いるので、特別委員会では、よく、非常に追及的な質問がなされる。(略)

 

 特別員会の制度は、ある合意された考えに基づいて動いている。もし、全ての委員会の報告書が、保守党は、このように賛成し、労働党は、別のように賛成したとなった場合、特別委員会の特徴は全くなくなる。本会議の討論ですれば良いことになる。特別委員会の特徴は、証拠(証人の話を)検討し、事案の功罪につき、観念的、客観的、公平な見解に達することである。

 

 なかなか言い方は難しいのだが、議会の中で、政党の力と、個々の議員の考え方の間には、常に緊張関係がある。そして、英国には、特別委員会の活動を効果的なものにしているだけの、充分な、独自の、自由な考え方というものが存在している。もしあなたが、日本では、もっと政党の支配力が強いと言うなら、私はなかなかコメントすることが難しい。特別委員会が、より力を持つ可能性を持とうとするならば、議員が実際に、より独自に考え始めるようにし、しっかりチェックする質問をするようにしなければならないということは、事実であろう。(略)

 

 

 

(7)委員会の運営

 

 前述のように、特別委員会には、政府の支出、政策などの監視の機能がある。しかし、特別委員会には何らの義務はなく、何もしなくてもよい。実際、活発な委員会とそうでない委員会があるとされる。

 

 委員会のテーマは政党間の話し合いで決められる。実際は委員長と担当事務官との協議結果を委員会にかけることが多いらしい。その他委員会の運営については、アザート氏の次の発言から、伺い知ることができると考える。

 

(委員会開催)

 

A:どんな調査をやるかということを我々は話し合うことになる。

 

(略)我々の委員会は、定例日があり、私は電話で「この日は出席できますか」等聞いたりしながら、委員会を設定している。

 

Q:委員会の日程は、理事懇談会(private meeting)でだいたい決まる。そこで決まると、我々は、委員長用の「お経」(script)を用意するが、そうしたものは作るのか。

 

A:ちょっと似たようなことはしている。ブリーフ(brief)と呼ぶもの

 

を用意している。ブリーフには、問題についての簡潔な説明と、質問についての案がある。委員は、通常、そこから質問をしたりするが、自身で用意した質問をしたりもする。ブリーフの案に限定されているわけではない。報告書を読んで、自分で独自の質問をしたりもする。ほとんどの委員会では、担当事務官(クラーク)がブリーフを書く。それゆえ、クラークは、委員会を設定(organize)するだけではなく、調査研究もしている。(略)

 

Q:日本で委員長用のものを作るのが私の仕事だ。

 

A:我々は、全委員用に、同じものを提供する。

 

Q:私が作るのは、もっと台本のようなもので、委員長は委員会の最

 

初や終わりに、それを読みさえすれば良いようになっている。

 

A:ブリーフは、そうしたスクリプトとは違い、全部の委員に配るも

 

のである。問題についての考え方の説明と理由、それに関連した質問等が内容で、証人を喚んだ時の資料となる文書である。

 

Q:しかし委員長は、いつも「オーダー、オーダー・・・」と言うが。

 

A:彼は、それを知っている。「オーダー、オーダー。本日は証人としてご出席いただきまして・・・」という言い方を、彼は知っているので、私はそれは書いたりしない。

 

A:プライベイトミーティングでは、委員会自体のあり方についての

 

協議を行うもので、例えば、どんな調査を行うかとか、報告書の原案を検討したりとか、証人への対応とかである。公開の委員会では証人への質問を行い、プライベイトミーティングでは、内部的な委員会の協議を行うのである。プライベイトミーティングで証人を喚ぶこともできるが、当委員会ではやっていない。

 

(委員長のリーダーシップ)

 

Q:日本では、委員長は、委員会における審判のような役割があり、自分の意見を積極的に表明することは、あまりないが、(略)会議録を見ると、委員長が、積極的に、自分の意見表明を含みながら発言し、進行している。これは、委員長としての職責から来るものか、それともある程度は委員長である議員の個性によるのか。

 

A:その質問は、良いポイントであると思う。私は、委員長は、それぞれ異なったスタイルを持つと思う。そこには特にルールはない。彼の委員長としての職責は、うまく議事を整理することもそうだが、個人的な、しかし重要な質問をするという一層の多様性を持っている。そして彼の見解を、他の委員の前に示す。彼の中立の立場は、採決が行われる時で、賛否が同数の場合のみ、委員長は投票を行う。その場合、彼はキャスティングボート(決定投票権)を握っている。委員会の同意を得る報告書の草案は彼の見解に基づき起草するものである。

 

 そう、委員長が一定の個性を委員会の協議に持ち込むことは、求められている。彼は、単純に中立なだけではなく、適度に会議を進行する。一定の範囲で委員会の活動を引っ張っていっている。

 

 

 

 

 

[省庁別特別委員会に学ぶもの]

 

 省庁別特別委員会の中には、それほど積極的な活動をせず、効果的な報告書を出していないものもあるとされるが、いくつかのものは、タイムリーな委員会での調査と、意欲的な報告書の作成で、国民の大いなる注目を集め、国政のあり方に重要なインパクトを与えているのも事実であろう。何よりも機動性に優れているという感じを持つが、その原因を私は次のようなことによるのではないかと考える。

 

(ア)法案を審査しないため、時間的に余裕があり、タイムリーに調査を設定しやすい。

 

(イ)証人喚問を日本の国会における参考人招致のような感覚で、積極的に頻繁に行っている。大臣の出席にこだわるものではなく、行政官や大学教授、研究者等がよく喚ばれている。

 

(ウ)一委員会が年に数度報告書を出すなど、調査がある程度で完結できるようなテーマの選定や、委員会運営をしている。

 

(エ)委員長以外の委員は、比較的若い(議員としての経験の少ない)バックベンチャー(平議員)のため、党派の路線にあまり縛られることなく自由闊達な議論を行う傾向がある。

 

(オ)バックベンチャーであるということは、同時に、委員会において自分達の存在感を示す必要があるということにもつながり、委員会の影響力を高めるべく、報告書の取りまとめに努力をする。

 

(カ)委員会の委員の数が11名あるいは13名と、一度の委員会で全委員が発言することが困難ではない人数であり、また話し合いがまとまり易い人数でもあること。

 

(キ)報告書が市販されており、国民が店頭で容易に入手できる。

 

  ポール・シルク氏は、省庁別特別委員会について、次のように答えてくれた。

 

A:実際この20年ほどの間に、議会において、活動の本会議からの実体的なシフトが生じている。本会議の重要性の後退は、時に多くの人々が論評していることである。しかし、ある場面で本会議が闊達であることも事実である。首相質問の時間や1970年代の偉大な討論のいくつか等である。個々の討論も大変重要なものになりうる。ただ、一般的には、夕方においてはほとんど毎日議場は空となっている。同時に、委員会の仕事と重要性の増加のシフトが生じている。確かに立法(legislative)の委員会、常任(standing)委員会でも、ここ数年の間に改善がなされている。と言うのは、より合理的な方法で、立法に接近するようになっているのである。審議をギロチンで切るように終わらせられる前に法律の最初のいくつかの条項の審議に時間をかけるよりも、法案の全てについて討論をするようにしている。それは、常任委員会の審査が実際の立法の精査(scrutiny)と言うより、ほとんど演出術(showmanship)の一つであったからである。しかし、重要視されているのは、この常任委員会に対してではなく、特別(select)委員会についてである。というのは、考えるに、多くの平議員が、その機能において、価値があるものとして、より満足を見いだしているからであろう。

 

Q:日本の議会にも特別委員会があるが、そのほとんどの特別委員会は、法案審議もしなければならない。そのため、政府の活動を調査してチェックする時間はなかなかとれないでいると考える。

 

A:あなたの国の制度とは、もちろん基本的な違いがある。我々の国の特別委員会には、法案審査の責任はない。省庁別特別委員会はそうした責任を有しない。ただ、今日、時としてそのことは、「もし法案審議の責任があれば、特別委員会の活動は、議会の活動のより中心的で必要なものになる」というように批判される点となることもある。そうした主張がある一方、あなたの言う日本の状況のように、法案審議に時間を用いすぎると、他のことをやる時間がなくなるという、他の主張もある。それはたぶんフランス議会においてでもそうであったと私は思う。フランス議会での委員会でのほとんどの時間は、政府の活動の監視より、法案の審議に裂かれている。

 

 

 

 短期的調査を行うための省庁別の調査会のような新機構を作ることは、そう簡単ではなかろう。ただ、日本の既存の委員会でも、調査のための開会を、もっと頻繁に行うことを目指すことは可能かと思われる。また、小委員会の活用ということも考えられよう。

 

 省庁別特別委員会の運営面の特徴も、様々なヒントを含むと考える。大臣等の出席にこだわらないこと、数回の開会で完結するようなテーマ選定、委員会運営、報告書の作成を行うこと、1回の開会時間は短めにしても、毎週必ず開会すること等である。日本での調査のための委員会開会は、英国流と比べ、どうも大上段に構えてしまっているような感じがする。時代の要請する議会による行政監視強化実現のための委員会運営を、様々な例を参考にしつつ探っていく努力を、地道に積み重ねていくことが必要なのではなかろうか。

 

 

 

※本稿は、

 

(1)Paul Silk & Rhodri Walters How Parliament WorksThird Edition

 

(2)Public Information Office House of Commons FACTSHEETNo6の記事と、ポール・シルク氏(1997年3月6日)、ユゼフ・アザート氏(1996年11月21日・後掲写真)、ジョージ・ジョーンズ教授へのインタビュー(1996年10月17日)等をもとに作成したものである。

 

 

 

宮﨑一徳

 

 

 

(※平成9(1997) 年9月の記述であり、今日では異なる運用等となっている部分があるので、ご注意願いたい。)