1.英国議会オンブズマン
スウェーデンを発祥の地とするオンブズマンの制度は、国民の代理人として、強大化した行政からその利益を守るものとして、特に第2次世界大戦後において多くの国々に導入されて来た。名称、制度の内容等は、国によってそれぞれ多少異なるが、英国においては、特にその議会制の伝統から、議員を通しての苦情申出や特別委員会での事案の審査等、議会が強く関与する形で設立され、発展して来た。
(1)導入の経緯・歴史的背景
1952年から1953年にかけて起きたクリッチェル・ダウン(Crichel Down)事件というものが、英国におけるオンブズマン導入の議論のきっかけとなったものとされる(注1)。第2次大戦前に空軍省が強制収用した土地を戦後継承した農業省が、元の所有者による払い戻し要求を拒否したものである。払い戻しを求める者の陳情を受け、地元議員が下院で取り上げ、農業大臣が中立的な第3者の法律家サー・アンドルー・クラーク(Sir Andrew Clark Q.C.)を任命し調査を行わしたところ、農業省は当時の政策基準に従い決定を行い、法に違反する事実はなかったが、政策に熱心なあまり、その決定が払い戻し請求者にかなり不適切なものとなったとの報告を出したのであった。
下院では、行政機能の拡大に伴い増加傾向にあった行政審判の扱いに加え、この事件のような不適切な行政の是正をどうするかを検討していた。1959年11月、下院は当時不当な行政の扱いについて調査を行っていた国際法律家協会イギリス支部(「ジャステス」)の報告書が発表された後に議会の態度を検討することを決定した。「ジャスティス」の「市民と行政-ワイアットレポート」は1961年に発表され、オンブズマン制度の採用を勧告した。
1964年の総選挙の公約の中に、オンブズマン制度の導入を掲げ、選挙で勝利した労働党ウイルソン内閣は、1965年10月にオンブズマンに関する白書を発表。1966年2月に法案が提出され、1967年3月に議会コミッショナー法(Parliamentary Commissioner Act 1967)(以下、「1967年法」と言う)が成立した。
(*行政に対する議会コミッショナー(The Parliamentary Commissioner for Administration)というのが、ここで創設されたものの正式な名前である。ただ、今日でも一般にはオンブズマンと呼ばれることが多く、事務局の出しているパンフレットにも議会オンブズマン(The Parliamentary Ombudsman)と言う用語が使われているので、本稿でも法の条文等の表記を除き基本的に「議会オンブズマン」と呼ぶことにする。)
英国におけるオンブズマン研究の論文として有名な「25年目の議会オンブズマン」(ロイ・グレゴリー、ジェーン・ピアソン)(注2)には、次のような記述がある。
「議会オンブズマンの構図の、政府による記述の中には、(略)事務局は「完全なる議会の機関」と記述された。選挙民のための議員の伝統的な役割の執行を助けるものとして意図された。政府の目的は、議員に市民を守るための「より良い道具」を与え、バックベンチの議員(平議員)に、時代遅れの議会質問と延会討論(adjournment debates)に加えて、「新しく力のある、鋭い刃の武器」を与えることであると説明された。コミッショナーの調査は、完全で公明正大なものを、申し立てられた不適正行政に対してすることができる。この議会の「新しい奉仕者」についての知識は、確かに、議会ロビーの飼料としてしか数えられていないと感じていたバックベンチの議員に心臓を入れるものである。議会オンブズマン事務局を通して、バックベンチの議員は、非常に鋭利で洞察力のある道具を与えられると言われた。」
選挙民の苦情を調整するのは、伝統的に議会の役割であり、議会オンブズマンはそれを強化するためのものという位置づけである。こうした基本的な考え方が、議員を通しての申立、議会への報告等、英国の議会オンブズマンのさまざまな性格を決める要素となったと言えよう。
また、オンブズマンの決定が、行政庁の行為に強制力を持てば、それについて大臣が責任を負うことができなくなり、議院内閣制の議会に対する大臣の責任の原則が崩されることなるが、オンブズマンの決定はあくまでも勧告であって、大臣はそれを拒否できるので、この点についての整合性も保たれている。
議会オンブズマンと同時に、下院に議会オンブズマン特別委員会(The Select Committee on the Parliamentary Commissioner for Administration、5.(1)参照)が設置された。
1969年には、その地理的、政治的状況から北アイルランドにおける問題を担当する北アイルランドオンブズマンが設置された。初代北アイルランド議会オンブズマンは、1967年法で設置された議会オンブズマンが兼務したが、現在では兼務は行われていない。
1973年、医療制度における行政問題の解決のため、医療サービスオンブズマンが設置された。こちらは創設以来、議会オンブズマンが兼務している(6.(1)参照)。
1974年、地方自治体の行為に関わることを扱う地方オンブズマンが設立された(6.(2)参照)。
議会オンブズマン自身については、その後数次にわたって管轄の拡大等の改革が行われている。また、議会オンブズマンの活動の成果を受ける形で、年金オンブズマン、法務オンブズマン等、英国では、いくつものオンブズマンが設立されている。
(2)オンブズマンの資格・選任方法
議会オンブズマンは国王が任命する。1967年法は、任命と在職期間につき、次のように規定している。
第1条 第1項 この法律の規定に従って調査を行うため、行政に対する議会コミッショナーとして知られるコミッショナーが任命される。
第2項 国王は、特許状により、議会コミッショナーを任命する。任命された者は、善良な行いをしている間において、在職し続ける。
任命の実際の運営及び今日的論点は、次のようになっている。
「オンブズマンは、女王によって任命される。実際は、首相によることを意味している。しかし、首相は、選任をする前に、野党党首と、議会オンブズマン特別委員長に非公式に協議を行うことになっている。なぜなら、オンブズマンが非政治的な任命であることが、明らかに重要なのである。誰もが同意することが、彼の役割の一番の基礎となっている。特別委員長は他の委員会のメンバーとは協議しない。」
「特別委員会は、こうした選任過程に代えて、首相から動議を出し、それを下院が採決して決めるという方法を勧告した。この方法でも、首相は依然、彼が望む人を決めるイニシャチブを持っている。しかし、下院とのいくらかの同意が必要になって来る。それは、オンブズマンが政府の役人ではなく、議会の役人であって、政府を調査する大変重要な存在であるという事実を強調しているものである。政府は、このルールの変更を実施するという勧告に同意した。しかし、それはまだ行われていない。たぶん政府はそのようにすることになるだろう。」
「その場合でも、任命に関し、委員会は何ら公式の役割を持たない。労働党が、本会議討論の最初の方で、特別委員会は、一般的に公務員の任命について、もっと権限を持つようにすべきだとの意見を述べたが、それが実現すれば、オンブズマンの任命についても、委員会が重要な役割を担うようになるだろうが、現時点ではそのようなことは生じていない。政治的な論議に止まっている。」
(特別委員会担当官ユセフ・アザート氏インタビューより)
平成9年1月に、マイケル・バークレー氏が新たに議会オンブズマンになった際には、このような新しいルールによる選出は行われていない。総選挙直前という政治状況もあり、アザート氏も私の問い合わせに対する回答の書簡の中で、政府は、任命手続の変更には合意しているが、それを行う充分な時間をまだ見いだしていないと分析している。
免職は、本人からの辞職の申し出又は両院の上奏に基づく国王からの解任、65歳の定年、病気による職務執行不可能の場合になされる。1967年法第1条第3項には次のように定められている。
第3項 コミッショナーに任命された者は、本人の辞任の申し出又は議会両院からの上奏に基づき、国王により解任され、また、65歳になるまで仕事を全うした場合に辞任する。
第3項のA 国王は、コミッショナーに任命した者が、病気による理由で、(a)職務を行うこと、そして(b)辞めることを求めることが不可能な場合、その辞任を宣言することになる。
議会オンブズマンは議会の役員とされている。1967年法第2条は給与と年金について定めている。給与は、公務員事務次官クラスと同等とされる(注3)。英国では、事務次官は、在職中に、サー(Sir)の称号をもらうことがあるが、先のオンブズマンのウイリアム・リード氏も在職中に、サー・ウイリアムに呼び方が変わった。
資格要件は特に定められていない。初代オンブズマンは会計検査官出身者であったが、法律家出身者、公務員出身者がなっている。研究者との話の中で、公務員出身者の方が、法律家出身者より、より積極的に苦情の救済を行おうとする傾向があるのではないかとの印象が聞かれた。また、議会オンブズマン事務局の話では、バークレー氏の選考にあたっては、その初期の段階において初めてある種の公募の形がとられたという。平均在職期間は約5年とされるが、中立性の確保の観点から、オンブズマンの次の再就職を考えなくて良い60歳前ぐらいの人が選ばれるとされている。現在の議会オンブズマン、マイケル・バークレー氏の経歴を次に掲げる。公務員関係、国家医療サービス(NHS)関係の仕事を経験している点が注目される。
○マイケル・バークレー氏(Mr.Michael Sydney Buckley) 57歳
|
ロンドン大学エルサンカレッジ、オックスフォード大学クライストチャーチカレッジ卒 |
1962~1982年 |
大蔵省入省、公務省、貿易産業省勤務 |
1982~1984年 |
内閣府次長(Deputy Head) 首相や他の大臣向けブリーフィング担当 |
1985~1991年 |
エネルギー省部長 |
1991年 |
病気の夫人の看病のため退職 |
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内閣事務局特別顧問、公務員特別委員会委員長、 公務員訴願委員会委員として働く |
1995~1996年 |
ダートフォード・グラヴェシャム国家医療サービス信託(NHS Trust)委員長 |
1997年1月3日 |
議会オンブズマン、イングランド、スコットランド、ウェールズの医療サービスオンブズマンと。 |
(3)組織
1967年法は、第3条でスタッフについて定めている。
第3条 管理についての規定
第1項 議会コミッショナーは、人員数と勤務条件につき大蔵省の承認を得た上で、心要な職員を任命できる。
第2項 この法が定めるコミッショナーのどのような役割も、その職務遂行の目的のために、コミッショナーにより [あるいは(略)医療サービスコミッショナー(略)により]権限を与えられた事務局の職員により、遂行される。
第3項 この法に基づくコミッショナーの経費は、大蔵省の認めた額について議会から与えられた金額から支払わられる。
議会オンブズマンは、2人の副議会オンブズマンを置いている。スタッフの総数は、議会オンブズマンが医療サービスオンブズマンを兼ねていること、政府の情報公開についての事案を扱うようになったこと、補助的職員がそれぞれに共通する形でまとめられていること等から、次のように示されている。
(年月日) |
95. 8.1 |
96. 2.1 |
96. 8.1 |
97. 2.1 |
オンブズマン以外の役職のスタッフの総数 |
182 |
207 |
227 |
237 |
議会オンブズマン(PCA)側のスタッフの数 |
48 |
53 |
59 |
72 |
情報へのアクセス(AOI)側のスタッフの数 |
8 |
5 |
7 |
7 |
医療サービスオンブズマン(HSC)側のスタッフ数 |
62 |
75 |
80 |
75 |
補助的スタッフの数 |
64 |
74 |
81 |
83 |
(議会オンブズマン事務局資料より。小数点以下(1年以下の在職)は四捨五入した。)
議会オンブズマンの事務量の増加に伴う、議会オンブズマン側のスタッフの継続的な増加が見られる。1996年後半には、議会オンブズマン側の人員確保のために医療サービス側からの人の異動も行われたとされる。
非常に乱暴だが、補助的スタッフの半分が医療サイドだとすると、議会オンブズマン事務局としては、約120人の規模と言うことができる。
これらのスタッフのほとんどが各省庁からの出向者である。3~5年の在職で異動していく。この点に関して社会保険省でのインタビューでは、次のようなことを聞くことができた。
Q:議会オンブズマン事務局の多くの職員がいろいろな省庁から来ているとのことだが・・・。
A:そうだ。多くの人が社会保険省からも行っている。彼らがどのようにしているかについては、政府省庁全体にオンブズマン事務局職員募集の広告が出される。約3年間の期間ということでだ。募集の時期は一定ではない。その期間が過ぎたら、省庁に戻って前の仕事を行う。実際これはオンブズマン事務局にとって有効なことだ。異なった省庁の仕事のやり方を知っている人を得ることができるからだ。現在事務局で働いている多くの調査職員が以前この省庁で働いていた。実際それは大変うまく行われていると考える。それはまた、立法等により変化が起きていることに事務局が常に追いついていけることを意味している。もし一つの所に長いこと人を置いておけば、特にそれだけ広い領域で、新しいやり方や新しい変更をカバーすることにおいて遅れをとりかねない。
Q:そうしたことは苦情を解決するには有効だと思う。しかし日本では、出向先の職員が出向元の職場のために働くのではないかという心配が生じうるのではないかと考える。
A:オンブズマンの事務局にいったん行けば、彼らは、それまでにやっていたことを後ろにやって、完全に客観的に仕事を行う。あなたの言うようなことは、我々の経験ではない。前にどのような仕事をやっていても、オンブズマン事務局のほとんどの上級事務官は、事案については、大変きちんと関わっていく。あなたはそのような公務員の考えに驚くかもしれないが、いったん異動すれば、大変責任をもって、中立公平に職務を行うである。それに確かに、この国では、彼らにとって、もとの省庁に戻った時にそれが自分の頼りになるというような、誘発要因はない。また、我々自身も苦情が言えるということがある。他の省庁との関係で、公正でない状況に置かれた時に苦情が言えるのである。
(社会保険給付庁(Benefits agency)議会業務部長デイブ・ウォーラル氏(Mr.Dave Worrall)インタビューより)
議会オンブズマン事務局は、議会議事堂の向かいにあるウエストミンスター寺院の隣のチャーチハウスという建物の中にある(写真)。なお、ロンドンの医療サービスオンブズマン事務局は、議事堂の西、テムズ川沿いのミルバンクタワーの中にある。
1996-97年度の歳出予算は、オンブズマン自身も含めて、この全体の組織(情報公開部門、医療側も含む)で16,333,962ポンド(約32億7千万円)である。
また、次のような「臨時オンブズマン」の規定もある。
第3条のA 臨時コミッショナーの任命
第1項 コミッショナーが空席になって、新しいコミッショナーの任命が決定されていない場合、国王は、空席が生じた日から始まる12ヶ月以内の間において、いつでもコミッショナーとしての働きを行う人物を、この条に従い任命することができる。
第2項 この条により任命された人物は、国王の意向に従って、地位を保つことになる、また、(a)新しいコミッショナーの任命か、コミッショナーの空席が生じた日から始まる12ヶ月の期間の満了のいずれかの事態が最初に生じるまで、あるいは、(b)他の点では、大蔵省が定めるような、彼の任命の期間及び条件に従って、地位を保つことになる。
第3項 この条により任命された人物は、彼がその地位にある間、この法の第2条のものを除いて、そのすべての目的のために、コミッショナーとして扱われる。(略)
(4)管轄
オンブズマンの管轄については、1967年法第4条に規定されている。調査の対象は、別表2という形で、省庁や機関名が広範に列記されている。
第4条 調査の対象となる各省と諸機関
第1項 この条の規定及び、本法律の附則別表2が内容とする記述に従い、この法律は、附則別表に掲載される政府機関、法人、法人格なき社団に適用される。(略)
1967年法第4条第2項以降は、別表2を改正して、調査対象の省庁や諸機関を変更する際の規定である。対象機関として、教育・職業指導関係機関や専ら商業行為を行う団体等は、加えることができないと明記されている。また、機関に法が適用される場合は、その構成員へも法が適用されることが第8項において示されている。
第2項 国王は枢密院令により、附則2を改正してその記入事項又は注意書きを変更し,削除し,又は追加することができる。
第3項 英国枢密院令は以下の場合のみ、記載を挿入することができる。
(a)それが以下に関係ある場合、(i)政府機関;あるいは(ii)法人あるいは社団で国王の利益のために機能を行使するもの、
(b)法人あるいは社団で、以下に関係ある場合、(i)国王の特権の効力により、議会の法律あるいは枢密院令、あるいは議会の法律の下で作られた規則により設立されたもの、他の方法として、国王の大臣により大臣としての権能により、あるいは政府機関により設立されたもの、(ii)少なくとも収益の半分が、議会が直接的に供給する金銭や、法律により権限付与された課税、他の記述により権限付与された手数料や料金、あるいはそれら財源の一つ以上から出て来るもの、(iii)その全部あるいは一部が国王や国王の大臣、政府機関による任命された者で構成されているもの
第4項 その唯一のあるいは主な活動が以下の第5項に特定される法人あるいは社団については、項目は設けられない。
第5項 上記第4項で言及した活動とは、
(a)教育の条項、あるいは1982年の産業訓練法に規定するもの以外の訓練に関する条項、
(b)教科課程の開発、試験の指導、あるいは教育の単位の認証、
(c)いかなる職業に関する項目の統制、あるいはいかなる職業の構成員の行為の規則
(d)法人や社団の行為に関係ある構成員による苦情の調査、あるいは調査またはそれに続く段階の指導、再検討である。
第6項 専ら又は主に商業的な方法で活動する法人又は社団に関して、あるいは国有の産業・企業のもと、又 はそれらの一部のもとで活動する法人に関しては、項目を設けない。
第7項 この条により作られるいかなる法令の文面も、議会のどちらの院の決議の発効により、取り消される。
第8項 この法では、
(a)この法が適用される政府部局への言及には、その部局のいかなる大臣や公務員等への言及も含まれる。そして、
(b)この法が適用される機関への言及には、その機関のいかなるメンバーや職員への言及も含まれる。
議会オンブズマンの管轄は、利用する議員からの要請もあり、1987年には非省庁組織の公共機関か加えられ、1990年には裁判所及びその職員の行政行為が加えられるなど、相当に拡大されて来た。英国では、省庁を政策立案部分と行政執行部分に分け、後者をAgency(以後「外庁」として表記する。)として独立させるという一大行政改革が行われたが、この外庁も、議会オンブズマンの管轄に加わったのである。
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