<「海峡トンネル鉄道連結」事案>

 

 (THE CHANNEL TUNNEL RAIL LINK AND EXCEPTIONAL HARDSHIP)

 

 

 

 a.事案の紹介

 

 

 

 この事案は、英仏海峡トンネルと連結する鉄道建設に関連して生じた不利益に対し、補償を求めるものである。3人の議員を通しての5つの苦情が具体的には問題になっている。

 

 議会オンブズマンの1995年の年次報告書では、事案の扱いの経緯について次のようにまとめられている。

 

 

 それは私が議会コミッショナーとして引き受けた最も大きい調査であった。

 

 1967年の議会コミッショナー法第10条第3項に従い、私は議会に報告を提示した。それは、不適正行政の結果として不正が行われたことが明らかになり、その不正が改善されておらず、また改善されそうにない時にあてはまるものである。

 

 その項の権限を使用したのは、私のオフィスが設立されて以来、28年間で2回目のことであった。

 

 私がいつもの手順に従い、政務次官へ私の報告の草稿を示したところ、珍しく、彼は、彼の省庁に不適正行政があったことを認めず、不正についてのいかなる改善の必要性も認めなかった。()

 

 大臣と彼は、5月23日と3月1日の特別委員会で証人として発言をした。

 

 719日に、特別委員会は報告を出し、そこで彼らは、行政当局は考慮が足らず、不適正行政を演じたと結論を下した。すなわち、海峡トンネルの鉄道連結計画が、1990年6月から1994年4月の間、長期公債借換問題から債務関係が不確定の時期に入った時でも、補償の支払いは行われるべきであったし、例外的に非常に多くの影響を受けた者に補償を与えることが望ましかった。また、例外的な困窮の事例の小さな数を見分けることが可能である。(略)

 

 

(用語として、発生した不利益の状況を示す「blight」を「障害」、それに基づく住民の苦しみを表す「hardship」を「困窮」と訳する。「海峡トンネル鉄道連結」は、以後「CTRL」と表す。)

 

 

 

 苦情の背景となったのは、次のようなことである。

 

 海峡トンネルへの鉄道の連結が計画されていた時、政府は、障害に対する補償政策を持っていた。そして通常は、いったんルートが決められると補償が支払われ、ルートの両側に住んでいる人々は苦情を言うのを止めることが予想された。しかし、この事案においては、いくつかの異なるルートが話されていて、かなりの間、最終ルートが決定されることがなかった。財政的問題から計画がどっちつかずになっていたという側面もあった。それゆえ人々は長い間、補償を手にすることはなかった。また、最終ルート以外の地域の住民は、補償の対象とならなかった。

 

 苦情の一つは、進行中の病気によりひどく不自由をしている年輩の婦人のものであった。病状は悪くなる一方であった。彼女と彼女の夫は、彼らの家を売り、自身で介護施設を持っている遠くの親戚と一緒に住むつもりであった。もちろん、介護費の支払いのためのお金も必要であった。しかし、この鉄道建設計画で、家屋の価格が急落し、売ろうにも売れない状況になってしまった。にもかかわらず、補償スキームの対象範囲外ということで、何らの補償もなされなかったというものである。

 

 

 

 オンブズマンは、この事案について、最終的なルートが決定されるまで、この地域において、ルートが決まらなかったことから通常の補償を手にできなかった、苦しめられた人々の不利益の程度からして、建設する財源の都合ができないのに、計画を持ち続けていた間における政策の影響についての考慮における、省庁の誤りがあったと判断した。それが不適正行政になると主張した。

 

 

 

 「政策の影響についての考慮における誤り」とは、なかなか理解しにくい言葉である。議会オンブズマン事務局でも、「これは、通常の不適正行政がどういうものか知る上では、非常に良いガイドになるとは言えない。なぜなら、大変特異な例だからだ。もっと年次報告書にも載っている典型的な事案について何が起こったかということについて、見た方が良い」とも言われた。そうした中で、あえてこの事案を取り上げたのは、オンブズマンが扱う「不適正行政」と扱わない「政策」の違いというものが議論されたものであり、その認識に役立つと考えたからである。

 

 

 

 b.議会オンブズマンの主張

 

 

 

 この事案に関するオンブズマンの報告書(1994-95年期の第5報告、1995年2月8日)には、オンブズマンが扱わない「政策」について、次のような記述がある(第41節)。

(略)その線路が作られるべきかどうか、どこに走らせるべきか、いつから始めるべきか、誰がそれを建設して、どのように財源調達されるべきかについての政策決定は、政府の決定であり、それに私はコメントはしない。(略)

 

 

 次に、オンブズマンが扱う「不適正行政」について述べられている(第42項)。

 

(略)苦情の周りの状況を、さらに私は良く見れば見るほど、より私は、運輸省が不適正行政的に行動していたということ、そして過程において、改善されない不正義の結果となったとの結論を描くことが避けられなくなった。(略)(私は、)政策の組立と導入から必然的に沸き出る行政を、確かに調べることができ、また適格なら落ち度を見つけることができる。省庁が政策を導入する時には、その政策の影響や、それらの影響を和らげるためにとられる必要な段階は何かということが考慮されていることが義務となる。政府部局がどんな手法を適当と思うかは、政府部局の問題である。不適正行政なしに達した裁量の決定について、私は見ることはしないだろう。私の見解からすれば、政策によって起こされる影響を考慮しなかったのは、疑いの余地のない不適正行政である。政策の施行により個人にまつわって引き起こされた問題が明白になり、それなのにどんな行動も、改善策を熟慮するために行われられないときには、そのような不適正行政は、より明白なものとなる。私は、CTRLに関係して起きたことに、それを見つけだした。(下線は筆者)

 

 

 これを整理すると、次のようになると考えられる(e.参照)

 

「政策」→オンブズマンは扱わない

「政策の影響の考慮」

適切に行われた場合→オンブズマンは扱わない

適切に行われなかった場合→裁量による決定の内容ではなく、その過程が「不適正行政」であるとしてオンブズマンは扱う

全く行われなかった場合→「不適正行政」である。

 

  

 オンブズマンは、全ての大規模基盤整備で、同様な障害が生じ得るとしながら、CTRLの設立は、「今世紀の、英国における最初の主要な鉄道建設である。そうしたことに影響され、その衝撃について推測することができず、直接比較できる開発がなかった。そこを通る列車のスピードは、多分、この国でそれまで可能であったものを上回るものとなる」として、特異なものと位置付けた。時系列的に問題の原因を分析しつつ、次のように続けている(第4445項)。

 

(略)必要な私企業による財源措置の、なんら理由のある見通しのない中で、計画を実行し続け、BRのさらなる研究を持つという決定は、運輸省に与えられていた権限による政策決定であって、私は、そのことについて、何のコメントもしない。私は、政策の取り組みの影響についてコメントをする。状況が解決されたという確実性のない未知の継続の期間の間、不確定と関係する障害を延長することになった。その点において、運輸省の不適正行政が始まったと私は認める。

 

 既存の補償制度により賄われない、数件の家屋所有者が、延長された期間において、困窮するようになったことは明らかである。そして、彼らの苦境が、採用された政策アプローチの結果だったので、運輸省はそれらの人々に利用すべきであるいくらかの救済について考慮する責任があった。(略)

 

 

 

 1990年6月に、政務次官から、政府による財源調達の拒否と合同企業体の設置が発表された。そして1994年4月に、政策の変更による補助金の計画への支払いに伴う、最終ルート決定後の調停が行われた。この間において、1991年7月25日に政務次官から総理へ問題を認める言及がなされているものの、「別の方法の利用が可能ではなく、後に続く期間においてもそれが行われなかった人のために、救済のいくらかの形が考慮されるべきではなかったかという問題に、その後運輸省が言及したという証拠を私は見いださなかった」とし、オンブズマンは次のように「不適正行政」の存在を結論付けている(第46節)。

 

 私が見つけた不適正行政とは、要約すれば、次のようなものであった。運輸省の政策の影響は、計画をどっちつかずの状況にし、それの財源調達ができない時にもそれを生かし続けていた。それが1990年6月からの期間における不確定と障害を増加させた。状況は、道路計画が導入された時に属するものと同じではなく、その計画は例外的な困難をもたらし、例外的手続きを必要とさせた。補償スキームでカバーされない人々は、ルートの決着の遅れの結果として苦しんでいたと言えよう。運輸省は、例外的あるいは極端な困窮に苦しんでいるような人々の状況を考慮し、適当な救済を与える責任があった。彼らはそのような考慮をいっさいしなかったし、それが私の批判に値する。

 

 

 

 c.運輸省の反論

 

 

 

 本事案についての特別委員会は、まず運輸事務次官、次に運輸大臣を証人として開かれた。委員会では、オンブズマンによる事案の説明があり、その後に、委員長、各委員から証人に対して質問がなされた。

 

 オンブズマンが、「計画が例外的な困難をもたらし、例外的な手続きを必要とさせた」にもかかわらず「例外的あるいは極端な困窮」に苦しんでいる人々の状況を考慮しなかったのは、不適正行政にあたると主張したのに対し、運輸省は「政策」論や「例外的」とは認められないとの観点等から反論をしている。

 

 議会オンブズマン特別委員会報告(1994-95年期、第6報告、1995年7月19日)を基礎に、その主張をまとめると次のようになる。

 

()<例外的不確定>

 

   公的部門が大きな計画の資金を出す時でも、資金繰りの約束がされないのは、全く普通のことである。

 

   約14年という年数は、幹線道路計画の平均的なものであり、20年もかかるものもあることからすれば、上手く行った方で、この計画が「遅れた」と批判するのは理由がない。

 

()<例外的な計画>

 CTRLは、政府の視点では、その資金調達において、また障害発生の不確定性において、例外的なものではない。ロンドン南東部の空港計画の研究や、フランス高速鉄道の騒音の緩和策も考慮された。CTRLの影響による広範囲にわたる障害は、多くの他の計画のそれらと具体的に違っておらず、広範囲にわたる障害を補償しなくてよいものであるという、国の政策の範囲を出ていない。

 オンブズマンの主張は、基本的に取り違えている。政府に、計画により影響を受ける人々の型を区別した扱いを認めるべきである。運輸省の政策は「扱いの一貫性の確保」である。CTRLの影響は、多くの他のものと違いはない。

 

(ウ)<例外的な困窮な状況にある案件>

(副大臣達は、問題を考慮していた)

 

 1991年の計画及び補償法案が、議会を通ろうとしていた時である。法案は、将来において、広範囲にわたる障害に、補償を与えるべきであるという判断の機会を議会に与えた。いろいろな条項が、議員により議論され、議院により拒否された。そのような状況の中で、指摘された問題を副大臣(政務次官)達が考えなかったわけがない。議会に拒絶された条項は、補償を考慮する政策のものであった。

 

 さらに、副大臣達は、個別議員からの、CTRLの件についてのかなりの手紙に答え、多くの、障害についての政策的合意を検討し、1990年、91年、93年の各々の年に少なくとも2件の合意があった。副大臣達は大臣の言を引用し、包含する障害について充分気づいており、的確な助言を受けていた。1990年から94年の間に、障害の問題を、役人により、副大臣達の考慮から除いていたとの主張を維持することは困難であろう。

 

(役人の責任)

 

 歴代の政府の、広範囲にわたる障害の取り扱いのためらいと、その政策についての継続的な大臣による協定は、役人に新しいスキームを提案する義務がなかったことを意味し、どの事案においても、彼らは大臣が拒否するのみであることを知っていた。

 

(土地購入による救済の問題点)

 

 さらに政府は、BRの南ダレンスや他の地域での土地購入の困窮な状況にも注目していた。より多くの人が移動したことで、雪だるま式に膨張する問題は、地域社会の性格が変化して、さらにより多くの人が移動を希望した形で現れた。問題は、案件の購入が可能であった地域に拡がって行った。購入協定の存在は、不動産業により、不動産の売買ができない理由に、そして建物協会により、それらを貸すことができない理由に、よく用いられた。困窮な状況にある案件の購入は、充分な考慮による注意によって使われなければならず、そして建設と作業の影響が知られるようになるまでは、申し出は危険である。

 

 地方に点在する購入の見込まれるものについて、大変広い範囲をそれで損なう危険がある。このような助けが必然的にその特定の地域の全ての他の不動産に障害を増加させる。

 

(例外的救済の困難さ)

 

 正確に扱える例外的な困窮な状況にある案件のためだけにスキームの構築をもくろむことは、困難である。いくらか少しの特別な、例外的な事案を選び出したり、公正で一般市民の受け入れられるものを得るような基準を設けることは不可能である。健康の問題は、既存の抵当権を与えることは解決できず、体の弱った親戚、離婚、通勤圏外の仕事、膨張した家族のための窮屈な状況等のための対応の必要性は、困窮な状況にある案件の事案に全ての可能性を強いる。これら範疇のどのようなものが残りのものより、救済により値するかについての公的コンセンサスはない。

 

 

 

 d.委員会での審査

 

 

 

 上述c.までに、それぞれの主張を全体的に整理したが、ここでは、特に「不適正行政」と「政策」に関する議論を中心に取り上げてみたい。

 

 議会オンブズマンの側の、「不適正行政」と「政策」の区別については、先(b.)に示した。これに対し、委員会審査の中では、まず運輸事務次官から、「政策」について発言がなされた。

 

(Sir Patrick Brown KCB・運輸事務次官)(1995年3月1日質問16)

 

オンブズマンは、広範囲の障害に救済をしないという政府の政策を破棄せよと言う。

 

(Chairman・委員長 Mr. James Pawsey)

 

そんなことは言っていないと思う。特別な基礎で考えるべきではないかと言っているのみである。

 

(Sir Patrick)(21)

 

他への影響がある。障害で苦しんでいる人を助けるよう制度を変えることは、政策の問題として  大臣が決めることである。

 

(Mr.Reid・オンブズマン)(52)

 

(個別事案のことであり、)補償の範囲外ゆえ、運輸省の成文法以外に基礎を置く問題である。

 

(Sir Patrick)

 

CTRLだけに適応するスキームは考えられない。

 

(Mr.Lord・委員)(56)

 

オンブズマンが言っている、成文法以外の救済は、大臣の責任で決定することと考えるか。

 

(Sir Patrick)

 

これが政策であるか、行政であるかは、我々の間の本質的な問題である。

 

 

 

 運輸次官も運輸省として「政策の影響を考慮」していた旨を主張している。

 

 「政策の影響を考慮」するのが「行政」だということを正面から否定しているわけではない。

 

・それが事案に照らし行政の適正な考慮だったという主張をするのではなく、

 

・救済の選択自体が、「政策」の変更にあたり、行政官としてはその検討は不可能であった、

 

というような主張がなされている。この点、オンブズマンは、

 

・事案の例外的困窮を考慮しての、救済の選択の検討は、行政の責任でなされるべきことであり、それがなされなかったことが「不適正行政」だった、

 

としている。

 

 

 

(ア)オンブズマンの扱わない「政策」は、事案の判断におけるもの

 

・オンブズマンが扱わない「政策」とは、事案の事象の判断におけるものである。

 

・オンブズマンの勧告についての省庁の対応として、職務改善の新施策等、「政策」決定がなされることは、当然あり得る。

 

 

 

(イ)既存の「補償「政策」」と苦情の救済としての補償

 

・窓口担当官のいやがらせによる市民の精神的苦痛に対する「任意の支払い」による救済の際、行政庁は「不適正行政」を認めれば、行政の責任として「任意に」支払いを行う。「いやがらせ」の際の既存の補償政策など、通常存在しないので、事案の救済との関係が問題になることはない。

 

・本件は、既存の「補償「政策」」がある場合なので、話がややこしくなる。運輸次官の主張は、

 

①CTRL計画のあり方という「政策の影響の考慮」による救済が「広範囲の障害を救済しない」という別の「政策」を変更することになり、行政官として行えない、あるいは、

 

②CTRL計画のあり方及び「広範囲の障害を救済しない」という「政策の影響の考慮」による救済は、元の「政策」を変更することになり、行政官として行えない、

 

のいずれかであろう。

 

 

 

(ウ)補償「政策」の枠外の個別の事案の補償は、「政策」か「行政」か。

 

・結果として、その事案については、補償「政策」を「変える」か「超える」ことになっても、

 

①の場合、更に「補償「政策」の影響の考慮」を加えて考える、

 

②の場合、「政策の影響の考慮」の「政策」に「補償「政策」」も含めて考える、

 

ということが、行政の責任で行えるし、それを適正に行わなければならないというのが、委員会の見解であると考える。

 

 

(エ)補償「政策」の枠外の個別の事案の補償を「行政」とする理由。

 

・「明確に不公平な扱いの手続きがあるのに法規の用語を厳格に解した影響で、それを緩和することをしなかった」ことが、「不適正行政」の例示として、政府の大臣にも認められている。ここで言う「法規の用語」に、存在する補償「政策」の内容を当てはめことができ、そうすると本件の個別の「政策の影響の考慮」による救済は、行政庁の「不適正行政」の責任の実施となり、制度を変更する「政策」ではないとの主張が成り立つ。

 

・補償「政策」が存在する時に、その「政策」に合致しない補償の実施は、行政官として行えないという主張は、補償の枠組みの外にある者に「任意の支払い」により補償を行っている内国歳入庁や社会保険省の事例と矛盾する。

 

  

 

(オ)運輸次官の主張の背景

 

・運輸次官が、「勧告に強制力はない。金銭的理由や行政執行手続き上の理由から、従来の補償政策を維持するために、個々の事案を考慮せず、救済は行わない。それほどに大型基盤整備の補償問題の影響力の大きさは特異なものである。」と言ったとしても、それは違法ではないから可能である。そう主張していればわかり易い。こういう表現を否定するような発言もしているが、実際これに近い考え方があったのではないかと考える。

 

 

 

 実際の審査では、様々に議題が移る中で、それぞれに意見を表明するだけということもあった。事務次官からの「救済の決定は大臣の責任」との発言の影響もあり、「それでは大臣を喚ぼう。」という流れになった。別に次官の説に従ったわけではなく、委員会としては、次官であれ大臣であれ、「不適正行政」を認めて「任意の支払い」をするかどうかを聞ければ良いのである。

 

 

 

(The Rt hon Dr Brian Mawhinney MP、運輸大臣)(1995年5月23日質問80への答弁)

 

もし「任意の支払い」を認めれば、補償の成文法による権限を求める必要があろう。狭い不適正行政と言うものより、一般的政策に関係しているように思える。

 

(運輸大臣)(85答弁)

 

私は、理由があり公正で公平という基準に対して、例外的な事案を扱うスキームを描くことが政策問題として可能か判断を求められている。そしてオンブズマン自身も、それをすることを求めることの困難さを理解していると言わなければならない。

 

(委員長)(質問86)

 

オンブズマンは「私が言っているのは、その例外的な事案についてのみである」「BR等の補償スキームよりタイトに見ることになる」と言っているではないか。

 

(運輸大臣)

 

知っている。さらにオンブズマンが「例外的(exceptional)」を定義していないのも知っている。(Bridget Prentice・委員)(88)(大臣の「広範囲の障害について考慮をしていた」という主張に対し) 我々が論じているのは、広範囲の障害についてではない。この例外的な困窮についての議論がなされていたかということである。なければそれは「不適正行政」になる。

(運輸大臣)

 

オンブズマンが「例外的な」といったものも、広範囲の障害に含まれると我々は考える。オンブズマンにそれがどう「例外的」なのか説明を求める。

 

(オンブズマン)(89答弁)

 

広範囲の障害は確かに政策問題である。広範囲のスキームがあるところで、そのスキームの外にある1、2の例に対し、(内国歳入庁等で)例外的な困窮ということで、任意の支払いがなされている。そうしたものを頭に描いている。

 

(オンブズマン)(90答弁)

救済のスキームを求めているものではない。特異なものについての対応を求めているのである。私の頭の中の基準に合うものは、1つだ。

 

(運輸大臣)(91答弁)

 

しかし、同じオンブズマンが人々を範疇分けするのは難しいと言っているのにも注目したい。

 

(運輸大臣)(93答弁)

 

「例外的」の定義できぬゆえ、救済判断個別事案につき示せず。

 

(委員長)(98)

 

オンブズマンは政策は求めないが、この大変特別な事例について任意の支払いを求めるとしているから、政策の問題は生じないのではないか。

 

(運輸大臣)

 

他への影響あろうから、成文法の権限を求めるのである。

 

(運輸大臣)(107答弁)

 

私は、1975年の歳入庁の例(補償の枠外の補償を任意に行った)を知らないので、今も、1975年に遡っても、大臣としての責任は有しない。その点につき、委員会の役割につきコメントしない。広範囲の障害についてのことは政策であることは明らかなのが政府の立場だ。「例外的」の説明が欲しい。

 

(Bridget Prentice・委員)(118)

 

オンブズマンの言っていることは、他のプロジェクトに水門を開けることになると考えなくてもよいのではないか。

 

(運輸大臣)

 

そうは思えない。

 

(委員長)(125)

 

厳格な法規適用による明確な不公平な状況を是正しないのは不適正行政となることを大臣は認めるか。

 

(運輸大臣)

 

それを省庁がやったとは信じません。

 

 

 

 運輸大臣の主張は、上述の(イ)の①、あるいは(オ)の要素が強くなっているように思える。すなわち、CTRL計画の政策の影響の考慮による救済は、補償政策に反し、個別の救済をしようにも、その「例外性」が示されないことから、それを行えず、また他の公共プロジェクトへの影響から政策的にできないというようなことだ。「不適正行政」を争いながら、「不適正行政」だとされたとしても任意の補償による救済は政策的に行わないというような姿勢がうかがえる。それは、「今、新たな補償政策を検討している。その制度ができれば、その枠組みの中で、当該苦情申立人も救済され得るだとう」との見解を述べていることからも言えるのではなかろうか。

 

  「例外的」の説明について、オンブズマンは定義は示さなかったが、他の事案の例を示して説明を行っている。この件については、後に触れる。

 

 

 

 e.委員会の結論

 

 

 

 委員会の結論を要約すると次のようになる。

 

(1)運輸省は、CTRLが財政問題から不確定な状況になった1990年7月から、1994年4月の間において、「任意の支払い」を行うことを検討すべきである。

 

(2)「明確に不公平な扱いの手続きがあるのに法律の用語を厳格に解した影響で、それを緩和することをしなかったこと」が不適正行政になるという原則において、広範囲に及ぶ障害による極端で例外的な影響を受けたものに対し、救済を与えることは望ましい。

 

(3)少数の例外的な困窮の事案を区別することは可能なはずである。

 

 委員会は、運輸省に、オンブズマンの指摘への対応の再考を勧告している。さらに委員会は、運輸省が頑固に姿勢を変えない場合、残念だが、この件を本会議にかけることになると言っている。

 

 

 

 こうした結論の前提として、委員会は、報告書において、次のような判断を示している。

 

・運輸省は、広範囲の障害に対する補償はしないという政策を明確に示しているが、オンブズマンは、政策を問題にしているのではなく、「政策の影響への考慮」について言及しているのである。運輸省は、オンブズマンの主張に反論する材料を何ら示していない。

 

・本件で問題となるのは、1993年の年次報告書でオンブズマンが例示し、199411月の委員会で、ネルソン大蔵省経済副大臣がそれが不適正行政であると同意した「明確に不公平な扱いの手続きがあるのに法規の用語を厳格に解した影響で、それを緩和することをしなかった」ことであるのに、運輸省は、そうしたことについて、検討していない。

 

・運輸省は、他の計画の広範な障害への同様な影響を理由に、補償の拒否をしているが、オンブズマンが主張しているのは、この最も特殊な事案の補償についてのみである。

 

・計画の例外性に対する政府の主張は目先の利かない利益によりすぎで、公共の不安を置き違えている。

 

・「少なくとも、例外的な事案において、影響を説明することが求められる暫定的な行動かどうかということの考慮によって生じるべきであった決定を、財政問題の解決が測り難い不確定な期間に不安が続いていることを意味した決定を、行政が気づかなかったことは、いかに責任があるか」というオンブズマンの主張は、省庁が、継続する不確定で我慢のならない状況に置かれた人たちに任意の支払いをするかどうかを考慮する時のポイントであった。

 

・あるものを補償し、あるものをしなければ、不平が生じるが、それはどんな裁量行為でもそうである。

 

・オンブズマンは特定の事案の救済のみを言っており、他の救済スキームより狭く、それが雪だるま式に  障害の広がりをもたらすとは考えない。

 

・運輸省の意見では、困窮の明白な定義が与えられなければ、全く救済は与えられなくなってしまう。

 

・運輸省の「特に個人的な悩み」の要素の追加の有無の区別は不可との主張は、政府見解の、特定の状況における「大変例外的な事案」における区別は可能というものに反し、受け入れられない。

 

・補償スキームからはずれたものに任意の支払いを行った例が、社会保険省と運輸省の事案である。任意の補償も基準の設定で、少数に限定できなくはない。

 

 

 

 委員会で委員の一人(Dr.Wright、質問103)が、「不適正行政とは何か。不適正行政の専門家は誰だ。」と質問したのに対し、運輸大臣は、「委員長と承知している。そして委員会が決めることです。」と答弁した。その委員会の判断は、運輸省の委員会での主張を否定するものとなっている。これが、このままの形で委員会で述べられていたわけではない。委員会で行われるのは、裁判ではない。議論の中で全てに白黒つける必要はなく、委員会としての考えをまとめる材料がそろえば良いのである。

 

 

 

 議会オンブズマン側と運輸省側の意見がするどく対立した特別委員会の審査の経過からすると、委員会の結論の形成の過程については、大いに興味が持たれる。特別委員会担当官のアザート氏は、インタビューで次のように、苦情申立人に対する考慮とオンブズマンを支えるという要素がポイントであったと語ってくれた。

 

Q:報告書の草案は、委員長自身が作ったのか。

 

A:委員会で証人を喚んだ後、プライベイトミーティングを開き、

証人が話したことについて、委員会はどう考えるかということを協議する。この海峡トンネル事案の場合は、その場で、彼らは急  遽、私(アザート氏)に、作業を急ぐよう求め、それゆえ私は一夜で、この報告書と全く同じものではないが、この3分の2位の分量の、委員会の主張とできるであろう文書を作った。質問を基礎に、質問の仕方や意見の表明等の中で、委員会の見解となりうるものを取り出すのである。そして彼らは、それが彼らが採りたい方針に沿ったものであると合意したので、私は、完全な報告書案を作った。委員会の主張を表すもので、委員長が見て、1、2語変えることはあったが、それが委員会に合意を得るために提出された。公式には、手続き的には、いつもそれは委員長の草案であって、委員長が私と作成し、委員会の合意を得るようにされるものである。

 

Q:委員会では、

オンブズマンと運輸大臣の意見が最後まで対立したままだったので、どうしてこの結論に達したかが、一番聞きたかったことだ。

 

A:それに答えるのは、なかなか難しい。

労働党の立場からは、本質的に政府に対立するものであるから、そうした内容が、独立した権威ある政治的に中立な報告書に現れたことは、驚くべきことではない。保守党サイドについて考えれば、多くの人々が苦しんでいることを大いに考慮しているということがある。そして、委員会の大変強い性分として、もしオンブズマンが政府に問題があると考えた時には、オンブズマンを支えるというのが委員会の役割であるという見解を大変強く持っている。報告書にも「我々は自動的にオンブズマンが正しいと憶測するわけではなく、オンブズマンからのと、運輸省からの申し出を、冷静に客観的に審査した」とあるように、我々は、オンブズマンが正しいと憶測はしない。しかし、オンブズマンを支えるという点では、強いものがある。そして、いろいろな議員が、多くの議論や主張を委員会で行ったので、この草案の作成は、皆が同意できるよう、大変注意をして行ったものである。これは込み入った難しい問題である。しかし、全委員が同意した。(19961121日インタビュー)

 

 

 

 f.「不適正行政」と「政策」

 

 

 

 本件についての運輸省の対応は、「不適正行政」であるという委員会の結論は出された。

 

 一方、後掲g.で示すように、運輸省は、このことは最後まで認めていない。

 

 委員会の審査自体、厳密な法律論議にはなっていない。これは、オンブズマンの問題解決の手法が、強制力がなく任意の対応を基礎にしていることによる。

 

 「何が不適正行政か」という問いに、「オンブズマンがそう思ったものがそうだ」との見解が、関係者の中から聞かれた。「かわいそうな人達の救済」がまずありきの感がある。オンブズマンが慎重に検討し、認定した「かわいそうな人達」は、救済されるべきだ、不適正行政の理論はその手段だ、と言ったら言い過ぎの面があるかもしれないが、そんな印象も持つようになった。

 

 「不適正行政」と「政策」の区別については、本件における委員会の判断が大いに参考になるのは、事実だ。しかし、求められているものは、その法理論的な厳密な区別ではなく、オンブズマンの救済の手法が有効に維持されるための整理ではないかと考える。オンブズマン側にしてみれば、どういう理屈であれ、救済されるべきと認めた者が結果的に救済されれば良いのである。

 

 さらに、「例外的」の定義をせず、例示による説明に止めている点に見られるように、オンブズマンの手法では、ある種の柔軟性の維持が大切である。厳密な用語の定義付け等は、その後のオンブズマンによる救済の上で支障になりかねず、そうしたことは避けていると言えよう。

 

 

 

 こちらの関係者に「政治、政策」とオンブズマンの関係について、いろいろと尋ねてみた。

 

 まず、当初、私は、日本の状況が頭にあり、政党間の対立が委員会に持ち込まれての(運輸大臣+与党)VS.(野党)の構図を描いていたということを話したところ、次のような答えが返って来た。

 

Q:こうした(本件の)委員会の報告は、政治的とは言わないのか。

 

A:そこには何ら政党間の対立というものは存在しない。

全会一致の合意である。オンブズマンと委員会対運輸省という構図で、これは行政の問題を扱っていることにほかならないでではないか。本会議の審議になった場合は、そこでの討論となるが、本会議場で保守党と労働党に分かれていても、多分、議員個人の意思に基づく自由投票の案件となるのではないか。報告書は全議員に配布されているので、それらを通して、案件の情報提供はなされている。その報告書は全会一致で、政党による対立は示されていない。

 

Q:日本では、自民党が政権を担い続けて来た。

政府の活動は全て、自民党の責任の下にあるという印象を私などは持つ。それゆえ、日本で、この件のように、運輸省がオンブズマンの意見に合意しなかった場合には、自民党は運輸省の意見を支持するのではないかと思う。

 

A:しかし、保守党は、そうはしなかった。

 

Q:そうしたところが、日英の大きな違いではないか。

 

A:こちらの決算委員会の報告書は、

行政の支出に対し非常に批判的なものであることがよくある。しかし、その報告書に、与党側の委員も署名をする。それは行政に対する批判なのである。この決算委員会と議会コミッショナー特別委員会には、こうした良く似た伝統がある。行政の行為に焦点を置き、委員が一緒になって検討する。彼らは政党の路線で分かれることはない。

 

 多分、日本では問題が生じるかもしれない。英国では、委員会で行政のことを扱う時に、党派を忘れるという議会の慣習、伝統がある。彼らは、自分達には、不適正行政を検討するという、あるいは行政の支出の仕方を調査するという役割があるのだということを意識するのである。そこでは、政策を扱わない。議論のある政治的事項を扱わない。

 

 いくつかの特別委員会では、確かに、委員が党の路線に従い意見を異にして、多数意見と少数意見が載っている報告書を見ることができる。そうした委員会の勧告には、影響力はない。もし、委員会が影響力を持とうとするなら、党派によって分裂した報告をしてはいけないのである。

 

  (ジョージ・ジョーンズ教授(L.S.E.Prof. G.W.Jones)へのインタビュー(19961017))

 

 

 

 一般的な「政治」と「行政」については、次のような話が聞けた。

 

Q:何が政治的なことで、

何が政治的でなく、行政の問題なのか。どのように分けるのか。

 

A:政治と行政の区別は、いつも大変難しい。

 

一方にある、政治の問題とは、政策に関する総合的な考え方の問題であり、方策的なもので、大変総合的な一連の方針である。対極にある行政とは、総合的な方針を状況に応じて実施する道具のようなもので、それゆえ、行政はより細部にわたるもので、実際的で、政治の一番最後の過程である。

 

   対極において我々はそれを認識できるが、その中間、それが政治なのか、行政なのかの灰色部分に、あなたが考えるように問題が来た時は、非常に難しい。私は、政治は「光」のようなもので、どこにでも届くことができるものと考える。あらかじめ政治が何であるかを決めることはできない。政党が取り上げたもの、議論の対象としたものが政治である。もし市民の間で議論が生じ、意見の対立があれば、新聞やテレビで多くの記事が出て来れば、それは政治的な問題となるだろう。時には、人々は政府の政策に合意して、何も問題が生じないこともあろう。その場合の政策は政治的なものにはならない。また、時には、行政執行に関する方策が、非常に政治的なものになることもある。行政執行が個々人の集団や個々人に損害をあたえるのを見て、多くの人々が叫び声を上げ、報道機関が取り上げ、質問が下院で行われ、大臣がそれに答える。その問題は、大臣による判断の決定の段階に入ってくるのである。こうしてそれは政治的な問題になるのである。公務員は、いつも、何を扱うにも、それが政治的な問題になるかどうかについて、非常に注意深い。市民との間に対立や議論を起こすだろうか、メディアやプレッシャーグループを巻き込むことにならないか、大臣や政党を巻き込むことにならないか、ということを考えなければならない。そうなった場合は、政治問題になるからである。

 

   あらかじめ理論的に、これが政治で、これが行政と区別することは難しい。あなたは、じっと待って見ていなければならない。時として政策の執行も、思いもかけない政治的大問題となることもある。(ジョーンズ教授)

 

 

 

  海峡トンネル事案については、議会オンブズマン事務局で、次のような意見交換を行った。

 

Q:この海峡トンネル事案を最初に手にした時、

何が行政で何が政治なのかということがわかるかと思っていた。しかし、読んでいくうちに、一種の柔軟性というものがオンブズマンのスキームにはあるということを考えるようになった。

 

A:私の考えるところでは、通常それは明確である。

政治と行政の違いは説明できると思う。しかし、あなたが言っていることは、非常に的確である。この特定の報告において、その2つの間の区別はぼやけている。

 

ポリシー(政治・政策)というのは、政府が何をやりたいかということについての意思(intention)の決定(decision)である。

 

   交通スキームが私有財産に影響を与えたことによる障害に対しては、人々に対し補償を行う意思が生じ、政府は、「我々は、道路が作られた時に、特定の状況において人々に補償を行うであろう。」と言うだろう。それは政策である。そしてそれは非常に明確である。そのためには法律ができ、そしてたぶん内部指導方針(ガイドライン)があるだろう。どのような状況において人々に補償を与えるかが決められ、細目や原則が知られるようになる。

 

   そして事案が生じて来る。庭の半分が道路建設のために使えなくされた、家に入って行く道を使えなくされた、従って補償が欲しいというものである。政策に従い、運輸省にこの場合、適当な補償の支払いの責任が生じる。いつもはするが、もし彼らがそれをしなければ、また、もし彼らがそれを間違ったように行った場合、怠慢や遅れがあったりした場合、あるいは「我々はあな  たが気に入らない。あなたに支払いをしたくない」と言ったような場合には、それは不適正行政だ。なぜなら、政策は明確で何ら誤りがないのだが、省庁が「それは、行政(ministerial)として対応することではない。」と考えたからだ。

 

 この特定の事案においては、事情が異なって来る。海峡トンネルが作られていた時、政府は、障害に対する政策を持っていた。()しかし、この特定の事案においては、いくつかの異なるルートが話されていて、ずっと、決して1つのものに設定されることがなかった。それゆえ人々は補償を手にすることはなかった。

 

 オンブズマンは、この特定の事案について、はじめてルートが設定されるまで、この地域において、ルートが決まらなかったことから通常の補償を手にできなかった、苦しめられた人々の不利益の程度からして、建設するお金の都合ができないのに、計画を持ち続けていた間における政策の影響についての考慮における、省庁の誤りがあったと言った。 それは不適正行政になる。大変特異な状況である。()

 

B:それは希な事案で、

オンブズマンは大変少ない数の人々の救済を勧告した。それは非常な困難を経験しているという理由からだ。通常の補償スキームの外である。通常でない補償を勧告している。

 

Q:この海峡トンネルの事案を、

あなた方は、例外的な事案と言ったが、委員会の会議録の中で、運輸大臣は、「何が例外的な困窮なのか」の説明をオンブズマンに求めていた。しかしオンブズマンはそれを定義付けることはしていなかった。私は、オンブズマンは、そのような説明をする必要がないのでしなかったのではないかと考えた。なぜなら、オンブズマンのスキームの持つ一種の柔軟性を確保するためだ。

 

B:あなたが言っているのは、

「例外的な困窮」をオンブズマンが法律的のように定義付けを行わなかったということか。それはしていない。

 

A:運輸省が事案のスキームを説明した時に、

オンブズマンはそれを示していった。我々は実際に、それについてのいくらかの考え方を有していた。なぜなら我々が調査した事案は、進行中の病気によりひどく不自由をしている年輩の婦人のもので、・・・(事案説明・略)。これが彼が頭の中においていたであろう例外的な困窮の内容である。ただ、他のこともあっただろう。オンブズマンの行動の理由については、我々はわからないが、彼はきっと選択して特別委員会で発言をしなかったのであろう。我々は彼らの事案がまさに例外的な困窮であることを良く知っている。

 

 (議会オンブズマン事務局インタビュー、1997113日、A:ディレクター(Director of Investigations)マンセー ル(Mrs Susan Maunsell)女史、B:渉外広報部長ブラマン女史(Mrs.Braman))

 

 

 

 また、本件について、特別委員会担当官のアザート氏は次のように語っている。

 

Q:不適正行政で「例外的な困窮」が

何であるかということについて、明確な定義付けをした説明をしないことが、オンブズマン制度の一つの重要な点であると思うようになった。

 

A:そのとおりである。まさにそうである。

 

   不適正行政については、1967年に議会コミッショナーが作成した有名なリストで、クロスマン・カタログと呼ばれるものがある。それはいろいろ違った種類の行政の失敗のリストで、オンブズマン法案の議論の際に、示されたものである。最近では、1993年の年次報告書で、オンブズマンは、新しいリストを示している。しかし、彼はそこで、これは厳格な規則のようなものではないということを明らかにしている。それは、彼が不適正行政と考えているもののガイドのようなものであるとしている。そうした柔軟性が大変重要である。

    1967年に、我々が不適正行政とは考えなかったものが、現在では不適正行政と考えられるようになっている。何が良い行政なのか、何が悪い行政なのかの見込み(expectation)は、進化し、変化した。なぜなら、人々は、彼らの権利について、そして政府に対して期待することについて、より洗練された考え方を持つようになり、政府もより多くのものを人々に与えることができるようになったからである。このように、その柔軟性は実際に非常に重要である。それに関連して、オンブズマンのやり方は、公平さの概念と、本来的な公正さ、それらは、多分、定義付けは難しいであろうが、そういったことを見ているのである。

 この事案に関しては、政府がやったことを客観的に見れば、そして、ある人の人生の哀れで深い悲しみの結果となったことを見れば、不適正行政が実例として存在するものであると言えよう。そこには、単に道の反対側を歩くだけではすまされず、何かをそのためにしなければならないものがある。そして、それには柔軟性のいくらかの要素を持つことが大切になっている。彼は、彼の報告書を通して、不適正行政の判例法とも言えるものを創造して来ている。

 

Q:オンブズマン制度を導入するには、そうした柔軟性を日本に導入することが必要だと考える。

 

A:明らかにそれは、いくつかのことで証明されるように、我々にとって大変重要である。()

 

Q:それから、不適正行政については、

大臣のアンソニー・ネルソン氏の発言がなければ、彼が(1993年の年次報告書の)不適正行政の定義付けを保証(政府として認める)しなければ、オンブズマンの主張が弱められたのではないか。

 

A:ネルソン氏は、しかし実際、保証した。

この事案との関係では、そうした仮定の回答は、イエス・アンド・ノーだ。(ある程度そういうことはあるかもしれないが、最終的にはそうではない。)オンブズマンの不適正行政についての定義付けは、政府の是認によって立つものではなく、委員会によって審査され、力を持つようになったものだ。また、たとえ政府自身の承認によるとしても、(初代)オンブズマンがリストアップし、政府がかつて合意した範疇の一つにより、不適正行政となる。そうしたこと(政府自身による不適正行政の定義の是認の必要性)は、裁判所  での議論のようなものでは意味を生じるかもしれないが、委員会は、政府の是認によって立つものではないから無意味である。それは、この報告における論点の一つだ。

 

 g.その後の経緯

 

 委員会の結論が報告書の形で出され、これに運輸省が全く前向きな対応を示さなかった時には、次のようなことが考えられる。

 

Q:もし、運輸省が、何の対応もせずに、

この報告が本会議で議論されるようになった場合、どのようなことが行われるか。

 

A:あなたが指すこれらは全て、大変新しいものである。

委員会と政府とがこのように、オンブズマンのレポートをめぐって衝突したのは、ほとんど初めてのことだからだ。本会議討論をしなければならないとするルールはない。もし、政府が委員会の勧告を拒否したら、本会議での討論を政府に強いることはできにくい。簡単ではない。ただ、私は、政府は、そうしなければ、あまりに不均衡となるので、討論の時間を与えると思う。政治的現実性に言及すれば、彼らが(運輸省が最終的に救済はすることで(後掲))合意した一つの理由は、討論をしていた場合、彼らが負けるであろうからである。彼らは非常にわずかしか多数ではないし、事案の問題となったケント地方の保守党議員達は、政府ではなく委員会を支持しただろう。それゆえ、彼らは、負けるであろうことに気付いて、対応したのであろう。これが、ここの分の政治的な読み方である。

 

Q:政府が「負ける」場合は、どのように負けるのか。

討論の後に、投票かなにかが行われるのか。

 

A:そうだ。

重要動議は、「本院は、議会コミッショナー特別委員会の報告書に同意する。・・・」というもので、多分労働党が「アイ」と言って、保守党が「ノー」と言って投票になろう。そして院として、委員会の報告書に同意することになろう。そうなった場合でも、それは、政府に何らのことも強いるものではない。しかし、彼らは、それに従わなければならないだろう。下院が、そう言っているのだからである。(アザート氏)

  

 実際の委員会後の運輸省の対応は、1995年のオンブズマンの年次報告書に、a.で示した部分に続けて次のように記述されている。

 

111日に、私は特別委員会から、彼らが大臣からの答えを受け取ったことを知った。そして、それはその翌日に発表された。

   政府は、不適正行政があったことを認めなかった。しかし、「議会コミッショナー事務局と議会コミッショナー特別委員会への敬意から、失政と責任を認めずに、」「1990年6月から1994年4月の間にCTRL(海峡トンネル鉄道連結)が如何にか作用し、そこから受けた広範囲に及ぶ障害により、例外的に非常に大きな影響を受けた者に対して、救済がなされるべきであるという、委員会の勧告を実行するために、新たな計画が示されるかもしれない。」という、前向きな対応する姿勢を示した。

   私は、その決定を歓迎し、素早い対応を希望する。

 

 さらに、オンブズマン事務局での取材によると、平成9年1月段階では、次のようになっている。

 

A:この事案の救済について、()

今のところ、まだどうなるかわかっていない。運輸省が考慮の最中だからだ。我々は、いまだ、(先の年次報告書と)同じ状況にいる。運輸省の対応は、非常に遅い。まだ我々のところに救済スキームは上がって来ていない。まだ考慮中である。それは、新しい道路、鉄道、空港、橋を計画する時に私的所有権に生じる障害についての全ての問題を一般的に見直しているからだ。そういう意味で、より政策的な再検討がなされている。しかし、実際この事案は別個の問題であり、大変遅いのも事実なので、昨年のクリスマスの前に我々も調査を行った。今年(1997)に出す次の年次報告書に何かしらを書くためだ。しかし、何も出てこなかった。まだどのようなスキームを運輸省が描こうとしているかを言える段階にはなっていない。

 

Q:何か運輸省に対して要求しないのか。

 

A:クリスマス前にやった。

非公式に尋ねたが、回答は、「まだ準備ができていない」ということであった。特別委員会のアザート氏も、同様な調査を行っている。それは、事案が大いに、特別委員会と運輸省の問題となっているからだ。オンブズマン側も、もちろんその情報を期待している。(マンスール女史)