はじめに -苦情を処理するということ-

 

 

 

「オンブズマン制度を新たに設ける場合には、やはり、それぞれの国の文化、伝統とういうものがあるのだから、そうしたことを充分考慮して、それにあったものを考えるべきだ」

 

 これは平成8年(1996年)1128日、LSE(ロンドン大学政経学部)における講演会での、私の質問に対する、当時の英国議会コミッショナー(オンブズマン)サー・ウイリアム・リード氏の発言です。

 

 

 

 平成7年(1995年)8月に発足した参議院行財政機構及び行政監察に関する調査会は、苦情処理の導入を含む行政監視機能の強化について、検討を行っていました。この調査会のスタッフであった私は、在外研修制度を利用し、調査会のテーマに従い、英国議会オンブズマンを中心に半年間、ロンドンで調査活動を行う機会を得ました。

 

 

 

 調査を始めた私が、最初に直面したのは、オンブズマンの行っている苦情処理についての違和感でした。

 

 その日本での一般的な説明は、「行政の行為により被害を被った国民を、訴訟による場合より簡易、迅速に救済するためのもの」というものだと思います。これは、私も頭の中で理解していたつもりでした。ただ、苦情申立人の視点から、裁判所の隣りの無料相談所を利用するというイメージが強かったのも事実です。

 

 しかし、実際にいくつかの苦情処理の事案を調べていくうちに状況は変わって来ました。「法律を厳格に適用することにより生じる不公正」、苦情申立人の「極端な困窮」等を理由に、法規による補償対象外の者への補償を求められた行政庁の反論の中に、多くの共感できる点を見つけたのでした。苦情を受ける行政庁側の立場をより強く考えるようになると、厳格な成文法支配の国である日本で育った公務員の私としては、「法律でそうなっているのだからしょうがないではないか」、「明確な法規の基準の外にある者に補償したら、他の者への対応も考えなければならなくなってしまう」という気持ちを強く持つようになったのでした。

 

 法に縛られず、状況に応じた適正な行政執行を常に心がけるべきことは、日本の公務員としても当然のことではないかとの指摘を受けると、まさにそのとおりと答えるしかないのですが、一方で、特に日本では、法の規定があるのに別の措置を行うということに、非常な困難を伴うというのも事実だと思います。

 

 

 

 こうした違和感を英国の関係者にぶつけてみたところ、次のような明確な答えが返ってきました。

 

Q:日本は成文法支配の国で、英国はコモンローの国だが、「政府が何かするときには、明確な基準が必要で、その事例だけ例外的に救済するのは他への影響があり問題だとの主張」を行うことがあるというのは一つの発見だ。日本人の私には、この政府の主張は、より容易に理解し得る。

 

A:あなたが指摘した点は、おもしろい。なぜならあなたが挙げた問題は、ある面で、なぜオンブズマンが存在するか、なぜそれが導入されたかということに直接関係するからだ。オンブズマンが行うのは、法により定義されるものと言うより、適正な行為という概念の導入によりなされるものだ。

 

もし、あなたが政府に望む良い行政というものが、成文法により定義されるものだけならば、オンブズマンの必要性は生じて来ない。あなたは、何かあれば、ただ裁判所に行けば良い。オンブズマンが設立されたのは、まさに人々が、適正行政と、市民の公正な取り扱いという概念が、実際、法が扱ういかなるものより、より幅広いもので、より柔軟性があり、より込み入ったもので、より形式的でなく、より事案に特有のものだということに、気がついたからだ。

 

しかし、日本にこのようなことについての考え方がないのは、ある意味で、まさに、あなたの国がオンブズマン制度を持っていないからだろう。そして我々も、オンブズマンが始まるまでは、市民への対応で、同様に窮屈な、そして厳しい手法を持っていた。より洗練された行政法の概念の展開が、オンブズマン制度とパラレルに、1960年代の半ばから始まったとも言えよう。

 

(平成8年(1996年)1121日英国議会コミッショナー特別委員会担当官ユセフ・アザート氏インタビューより)

 

 

 

 苦情処理の導入は、「法律でそうなっているのだからしょうがない」ではなく、「そこをなんとかならないか」ということを、「明確な基準の外にある者に補償したら、他の者への対応も考えなければならなくなる」のなら、そうした者を個別に「考えるべきではないか」ということを追求していった結果なのです。

 

 

 

 参議院の調査会のテーマが、議会による行政監視の強化とされたのは、複雑化、巨大化した日本の行政に対する民意によるコントロールが現状のままではより困難になるのではないかという考えが背景にあります。多発する行政官の不祥事、高度成長後の激変する状況への行政の柔軟な対応の困難さを目にして、議会の対応の改善により、その閉塞状況を打破したいというものです。

 

 議会が行う苦情処理は、行政により柔軟で適切な対応を求めるものとして、大いに検討に値するのではないかと思います。この制度があるということは、申立人にとって「政府は、私の苦情に応えてくれる政府であり、議会はそれを促進するもの」となり、「民主主義」の再確認がそこで行われます。苦しんでいる人の救済が目的の第一ですが、苦情処理を通じて浮かび上がる行政の問題点の把握と改善の指摘にも大きな意味があります。こうしたことの重要性は、この制度を多くの国々が採用していることで明確に示されています。

 

 

 

 制度の検討にあっては、また、次のようなことも考える必要があります。法律によらず「なんとかならないか」と言う以上、苦情処理の勧告等には基本的に強制力がありません。行政庁は謝罪や補償を「すべきである」と言われても「しなければならない」のではないのです。それを改めて意識すると、成文法支配の中で育った私も文句はないはずです。しかし日本で、「「しなければならない」のではない」ことは、「しなくて良い」あるいは、「してはならない」ことになってしまいます。

 

 英国をはじめ苦情処理を行っている国では、強制力のない勧告の実現を可能にするための、さまざまな工夫と多くの努力がなされています。こうした苦情処理を支える「任意の問題解決を可能とする制度」も、日本人にはあまり馴染みのないものです。英国においては更に、議会の特別委員会の活動や、1991年からの市民憲章という行政改善運動などにおいても、同様な工夫と努力が行われていることを知ることができました。

 

 

 

 違和感があるのは、まさに30年前から苦情処理の制度の存在する英国と、存在しない日本の「文化、伝統」の違いとでも言えるものではないでしょうか。違和感のあるほどのものであればこそ、その導入による効果が大きいものになり得るのではないかと考えます。苦情処理の勧告を出す制度と、その勧告の実現を可能とする制度。英国におけるこの両者の事態に少しでも迫ろうというのが、この調査の主眼となったのでした。

 

 

 

 英国のオンブズマン関係の調査では、広範多岐にわたって在英日本大使館の方々に大変お世話になりました。ドイツ関係では、在ドイツ日本大使館の方々、EUオンブズマン関係では在ストラスブール日本総領事館の方々にお世話になりました。もちろん、人事院、参議院事務局の多くの方々の支えがあったからこそ、この調査が行えたということは、言うまでもありません。ここに改めて感謝の意を表したいと思います。

 

 

 

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本稿は、平成9年(1997)4月に作成した報告をもとに、字句の若干の変更等を行ったものです。制度等に関する記述は、当時のものについての記述であり、今日のものとは異なっている可能性があることをご承知置き願いたいと存じます。

 

                                        宮 﨑 一 徳